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トップ>トピックス>文化・スポーツ |09.05.07

劇団俳優座が『蟹工船』を上演 演出・安川修一さんに聞く 「現代をダイレクトにとらえる舞台を」

「蟹工船」チラシ 劇団俳優座が創立65周年記念公演として、小林多喜二原作の小説『蟹工船』を舞台化します。俳優座が多喜二作品を上演するのは初めて。俳優座創設の中心メンバーだった千田是也氏(故人)が作った「センダスタジオ」(港区)を訪ね、脚本と演出を担当する安川修一さんに話を聞きました。

―小林多喜二の母、セキさん(1961年没)に会ったことがあるそうですね。
  高校に入ったころのことでした。高校で机を並べる小林という友人と、朝早く起きて札幌から小樽に自転車で向かっていたら、近くに多喜二のお母さんが住んでいるから寄らないかと誘われたのです。友人の小林が、多喜二の家とどういう関係があったのかはわかりませんが、家にいくと、セキさんが快く奥に通してくれました。多喜二が小説の構想を書きとめたノートや、新聞の切抜きを見せてくれました。そして、多喜二の亡きがらを知人らが囲んでいる写真も見せてくれて、左端に写っている男の人が多喜二のデスマスクを取ってくれたのだと言われました。セキさんは名前を言わなかったし、私も当時は知りませんでしたが、それが千田是也氏でした。
―不思議な縁を感じますね。
  このセンダスタジオができて、最初の仕事がゴーリキー原作の『母』の稽古でした。『母』では、息子が社会主義の運動に近づくことを嫌がっていた無学文盲の母親が、息子の姿を見て勉強をはじめ、自分も運動に加わっていきます。私のなかでは、このストーリーは、多喜二の母セキさんと重なっています。その稽古のとき、このスタジオで千田氏に、セキさんに会ったという話をしました。彼は微笑しながら、「あのころは大変だったんだよ」と。そのときから、多喜二の仕事を探ろうと構想をあたためてきました。      

現代につながる   “個的”な労働者

―「ワーキングプア」や「非正規切り」など、雇用危機のなかで『蟹工船』が読まれています。
  『蟹工船』のなかの労働者と、いまの若い人たちと、働き方に通じるものがあるのでしょう。脚本を書くにあたって、「マクドナルド難民」(24時間営業のファーストフード店で“寝泊り”する人たち)にも、店に行って話を聞きました。彼らは非常に個的、個人主義的で、一つの企業に属したくないと、派遣などで働いてきて、その結果、そうした職もなくなり日銭を稼ぐ「負け組」に落ちこぼれたことは、自分の責任だととらえています。
―今回の舞台の脚本を読むと出演者が「男1」「男2」などと書かれ、名前がありませんね。
  多喜二の『蟹工船』の登場人物には一応、名前がありますが、それが本名なのかは分かりません。もし彼らが過酷な労働に憤って立ち上がろうとしなかったら、雇われてたまたま集まり、再び会うこともない個で終わるだけでしょう。そしてモノのように徹底的に酷使され、名前を捨てないと生きていけないところまで追い詰められる。それが、蟹工船という鉄の箱であり、そこに国家が重なっているのだと私は思っています。
―マクドナルド難民の若者にも重なります。
グローバル化した世界のなかで、若い人の雇用の問題一つとっても世界全体で考えないと、どうしようもなくなっています。『蟹工船』には、国も財界も、もたもたしていると資本主義自体が大変なことになるぞ、というメッセージが流れているように思います。

舞台の“額縁”を壊す演出

―どんな舞台になりますか。
  舞台はどうしても横に動くことが多く、平面的で“額縁”のようになります。私はその額縁を破壊する演出をやってきました。
  今回は舞台にパイプを組んで、その上の方が船のハッチ、下が“糞つぼ”になっています。舞台全体が透けているので、どこかで芝居をしているときにも、別のところでは寝ている人が見える。20数人の役者が出ますが、彼らには芝居が始まったらどこにも逃げ場はないよと言っています。
―俳優座のブログ(日記風ホーム㌻)では「いまの時代の問題点をダイレクトにとらえ、心に深く残る舞台を」と『蟹工船』への思いを書かれています。
  いまという時代を、どういう切り口で切っていくか、そこが一番、難しいところです。この社会をどうやって自分たちのものにしていくのか、人間同士が同じ考えになることはないけれども、どこかで近づくにはどうしたらよいか。そのエネルギーをさしこむのが、人間と人間がぶつかり合う姿を表現する舞台だと思います。

  (「東京民報」4月19日号掲載)

 


※上演日程は5月15日(金)―24日(日)。ただし5月7日現在 指定席券は完売。詳しくは俳優座劇場03(3405)4743まで