都議会報道ページへのボタン
トップ>カテゴリー>文化・スポーツ|09/01/29

憲法25条がテーマ 映画「いのちの山河~日本の青空Ⅱ~」 製作発表のつどい開かれる

制作発表のつどい 映画「いのちの山河〜日本の青空Ⅱ〜」の製作発表のつどいが1月28日、新宿区の「けんせつプラザ東京」で開かれ、大澤豊監督や主演の長谷川初範さんらが、映画にかける意気込みを熱く語りました。平和憲法の大切さを訴えた「日本の青空」(07年、同監督)の第二弾で、今回は憲法25条がテーマ。社会保障の後退や非正規社員の大量解雇など、国民、労働者をないがしろにする政治や企業のあり方が厳しく問われる中、東京土建が全面協力するなど東京でも、この映画への注目度が急上昇しています。

初めて老人医療無料化した  旧・沢内村が舞台

  「医療、派遣(切り)、福祉の問題にこたえて、映画人として積極的に作品を作っていきたい」。つどいであいさつした、映画「日本の青空Ⅱ」製作委員会の小室皓充委員長(「日本の青空」プロデューサー)は、製作意図について、こう語りました。 映画「いのちの山河」は、日本の地方自治体で初めて60歳以上と乳児の医療費無料化を実現した60年代の岩手県沢内村(現・和賀郡西和賀町)が舞台。無医村で全国最悪の乳児死亡率の村が、当時村長の故・深沢晟雄さんと村民の奮闘で、全国初の乳児死亡率ゼロにまでなったドラマを描きます。
  大澤監督は映画を撮るにあたって「後期高齢者医療制度が、いかに非人間的な老人いじめの制度であるかがわかるような、同時に国民の生存権を保障している憲法第25条の輝きが増すような映画にしたい」(製作趣意書)と抱負をのべています。

参加協力募り自主制作

  撮影は2月15日に旧・沢内村でクランクインし、21日には、都内はじめ協力者のエキストラを乗せたバスが現地入りします。映画は6月ごろ完成予定。映画は前作「日本の青空」と同様、協力者を全国で募り製作費を捻出します。一口10万円(上映会に参加できる製作協力券=1枚1000円=100枚分)以上を出資する人・団体を募集中で、目標は2000口、2億円。

東京土建が全面協力

  都内では、東京土建一般労働組合の「どけん共済会」が設立10周年記念事業として製作・上映に全面協力します。同組合の巻田幸正委員長はつどいで「人間を大切にする行政、人間を大切にする企業の責任がいま、本当に求められている。沢内村の人間尊重の活動が映画になることは、すばらしい」と期待をのべました。 映画完成後は、各地域の実行委員会などによる自主上映会がもたれることになります。東京では製作委員会の一員である共同映画が、上映に責任を持ちます。

大澤豊監督

大澤豊監督のあいさつ
  「日本の青空」をつくるときもそうでしたが、今回も単なる映画づくりではありません。運動なんです。つくる運動、見せる運動がばっちり絡まないと、たくさんの人に見てもらえません。「そんなに苦労しなくてもいいんじゃないの」という声もありますが(笑い)、運動ですからやり抜かなくてはいけないのです。 今は「派遣切り」を含めて、人間を人間として扱っていないことが問題。沢内村は、人間はみな自由で平等でなくてはいけない、まして命の格差はもってのほかという村政をひきました。人間の尊厳を尊重することに徹した村政をひいたことがすごい。日本一の貧乏村といわれ、乳児の死亡率が日本一高かった沢内村が、死亡率ゼロをなぜできたのかと考えると、そこには村ぐるみの運動を徹底してやったことがあります。沢内村がどうやって日本一の健康村になったかを丹念に掘り起こせば、人間尊重の今までにない映画が誕生するのではないかと思っています。

長谷川初範さんのあいさつ

のり主役の長谷川初範さん  深沢村長の業績が書かれた本を読ませていただきました。父の世代が戦後新しい時代に向かって、みながまちづくりに走り回り、未来に向かって、子どもたちのために一生懸命にやっていた姿を見ていた(子どものころの)記憶がよみがえってきました。理念や理想、希望をもっていた人たちが、小さな村の話ですが、奇跡的にみんなの力でファンタジーを成し遂げた。(そのことを)ここでもう一度見ていく必要があるのではないでしょうか。心を揺さぶる、心から喜び感動していただける映画を、映画人は目指すべきであり、そのために私たちは努力することが仕事だと認識しています。良質な映画をつくってきた大澤監督のもとで、いい仕事をしたいと思っております。若い方からも、ものを言ってもらい、人に訴えるよりいい映画になればと思います。アフリカや南米、アジアとも、同じテーマ性をもっています。ぜひ世界中を回るソフト(映画)をつくっていきたい。


【あらすじ】
  豪雪、多病、貧困など、大きな問題を抱えていた山あいの小さな村、岩手県沢内村。長く無医村だったこの村で、父親から医者になることを期待されつつも、村を離れた深沢晟雄は、再び村へ戻り、村のために悲惨な状況を打破しようと立ち上がる。村長となった晟雄は「生命尊重」の信念を掲げ、憲法25条を盾に、当時は違法であった老人医療無料化に踏み切り、さらに全国最悪の乳児死亡率を乳児医療も無料化することで、全国初の死亡率ゼロにまで導いた。しかし、そこに行き着くまでには、晟雄と村民の奮闘の日々があった。